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  • 執筆者の写真ちゃんさん

やさしいまま強くなる

平成に生まれ、平成に育ち、これから令和を作っていく大人の一人の私だ。


青春時代はVOCALOIDと校庭の土埃と共に育ってきた。 17歳の私は陸上部の選手でありマネージャーであって、運動部としては珍しいオタク趣味を持ち合わせいた。文系と体育会系、選手とマネージャー、男と女、いろいろと中間寄りだが少し変わっている少女は、今も少し世間の同世代のリズムと少しずれて生きている。


やりたいことが見つからずなんとか引っかかった小売業の仕事は激務であり、肌に合わなかった。1年ともたずその会社を辞め、今は同い年の元同級生たちが愚痴を吐きながら活躍する様子をSNS上で眺める。街中ですれ違う希望と期待に溢れた新社会人たちを羨ましく、そして眩しく感じる。

今まで高校受験でも、大学受験でも大きくつまずくこともなく順当に大人になった。成績優秀、運動神経も良く、かなり引っ込み思案で変わっているねと言われることも多かったが、真面目さゆえに絵に描いた優等生のように生きてきた。少しずれていたとはいえ優等生のように生きてきた私には、フリーターとして生活していることは社会の波から大きくはずれて深い海に沈んでいくような気分だ。


春と同時に新しいことを始めた。文章を書くことだ。 もともと小説など物語を書くことは好きだった。けれど誰かの目に触れる場所に作品を置いたことはなかった。自分の考えを物を誰かに見せて笑われないかと恐怖に負けそうになったが今のところ暖かい反応をもらうことが多い。ありがたいかぎりだ。

仕事を辞めた直後は精神的に疲弊していたこともあり何も手に付かなかった。ぼーっと過ごしてはたと気がついたら2月になっていた。次に行くためになんでもいいからやりたいことを見つけようと必死に考えた。しかしわからなかった。なんなら就活生の頃からの課題であったがこの時解決できていなかったことを痛感させられた。優等生のように生きてきた私は、自分で考える方法を知らずなんとなく社会が示した方向に流されて生きてきた。自分について深く考えたこともなかったからやりたいことがわからなかった。


やりたいことがわからないと気づいたときには、全部社会のせいや親のせいにして投げ出してしまいたかった。今となればお門違いもはなはだしい子供じみた主張だ。悶え苦しみ悩み彼氏と枕に当り散らした末にどうにかせねばならんと手当たり次第に自己啓発本を読んだ。自己啓発本は社会人になる前から読んでいたがこの時期読んだ本が当たり続きでなんとかやりたいことを探し当てることができた。

それが今noteとブログで連載しはじめた「ど文系のお金の話」だ。

本当は仕事として金融知識を広める仕事に就きたかった。しかしスキルと経験のない第二新卒の転職市場では金融の仕事は保険の営業の仕事くらいで今の自分には精神強度的にかなり難しい。就職してもすぐ精神的に疲弊して離職するであろうことがうかがえた。まあ知識を広めるだけのお仕事というのは世の中には少ないのだからそれもまた難しい。


仕事にすることは難しくても勝手にわめくだけならタダだろうと目をつけたのがTwitterとnoteだ。一方通行に見えて双方向な新しいコミュニケーションの場所。インターネットと共に育ってきて今一番その恩恵を感じている。インターネット万歳。個々の発言力が高まるなか、気を使わないといけないこともたくさんあるけれど気軽に自己表現できるようになったことは本当にありがたい。

タイトルに込めた自分の目標と戒めについて話したい。だがその前に私が八つ当たりした彼氏のことを話さなければならない。私にやりたいことがないと自覚させ、私が自力で考えをまとめられるようになるまで多大な影響を与えた人間だ。彼は今年からコンサルタントになる予定で出会った頃は偏屈が服を着て歩いているような人間だった。将来の夢は自ら会社を作ることだそうだ。


優しいのだが困ったさんな彼に影響されて散々経営関係の本を読み、起業志望の学生が集まる講演会にも参加した。そうしていれば自分のやりたいことも見つかるのじゃないかと思っていた。講演会に参加した時は青天の霹靂だった。ぼやっとした目標しかない私には場違いな場所だった。熱意と紙一重な危ういなにかを持った学生たちが互いにマウントをとりあい値踏みし合う戦場を目にした。お友達一人くらいできるかなと思っていた間抜けな私はおそれおののきへとへとになってその場を退場した。

就活している時も、社会人になっても同じように値踏みされる場面に出くわした。そんな場面に遭遇するたびいつも、なぜそんなに攻撃的なのだろうかと思った。


もしかしたら彼らのように抜け目なく相手を圧倒し、利用されないよう警戒しないと社会と戦っていけないのかもしれない。でもそうはなりたくない。優しいまま、穏やかなまま少しずつ私の世界に影響を与えられる人間になりたいと思った。ポジティブな方に周りの人を導いていけるように、自分も温かい方に進んでいけるように、文字を書いて自己表現して社会と関わりたい。優しいまま社会と関わる。優しさを維持できるように強い心を手に入れたい。優しいまま強くなる。


これが新しい令和という時代に私が願い目標にすることだ。


そうは言っても入社1年たたず辞めてしまった私の考えは通用しないのかもしれない。それでもこのポリシーのまま、まずは令和元年を突き進んでみようと思う。とにかく文章を書き続けること、これが第1だ。幸いなことに優しいまま、穏やかなまま歩いている人のお手本は多い。Twitterみるだけでもたらればさん、小池一夫さん、そしてさえりさんとたくさんの方がお手本として先を歩いてくれている。その人の一部しか見ていないからそう言えるのかもしれないけど、優しい人たちだと尊敬している。これからもそういう人はどんどん増えるだろうし、自分もそういうふうに誰かのお手本として、あの日の自分の背中をおしてくれた人たちのような優しくて芯の通った素敵な人になる。まだまだ未熟だけど少しずつ確実に進んでいこう。


この記事は1年後の私への宣戦布告と憧れた人たちへの感謝の手紙だ。 誰かの目に触れるとこに置いたからにはもう逃げられないぞ。 優しく強く、前に進むことがわたしの令和元年にやりたいことだ。

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